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プロフィール

プロフィール

昭和33年1月24日生まれ

広大附属中学校、同高校を経て東京大学法学部を卒業

 

経歴

昭和55年 大蔵省入省。主計局に配属
昭和57年より 2年間、米ハーバード大学院に留学、
公共政策学修士号取得
昭和61年 滋賀県長浜税務署長
平成元年 在ワシントン日本国大使館書記官
(湾岸戦争後の湾岸諸国支援国会議等に出席)
平成4年 大蔵省銀行局総務課課長補佐
平成9年 大蔵省広報室長
(広報担当官として韓国、タイ等で大蔵大臣に随行)
平成10年 徳島県総務部長
(徳島県の行財政改革を断行)
平成13年 財務省内閣、司法・警察担当主計官
(治安対策、防災対策に尽力)
平成14年 財務省防衛担当主計官
(大和ミュージアム建設等に尽力)
平成15年 内閣府参事官を最後に依頼退官(平成16年2月退官)
平成16年 自民党広島県第5選挙区支部長就任
衆議院議員に初当選
平成17年 第44回衆議院議員総選挙に当選(2期目)
衆議院安全保障委員会与党理事
自民党行政改革推進本部幹事、
行政改革推進本部 特別会計改革委員会主査
平成18年 衆議院厚生労働委員会与党理事
構造改革フォーラム事務局長
自民党国防部会長代理
平成19年 防衛大臣政務官
原爆症認定を早期に実現するための議員懇談会代表世話人
自民党宇宙開発委員会事務局長
平成20年 防衛大臣政務官(再任)
衆議院安全保障委員会委員
衆議院決算行政監視委員会与党理事
自民党国土交通部会長代理
宇宙開発委員会事務局長
平成21年 自民党広島県連顧問
広島県相撲連盟会長
衆議院内閣委員会与党理事
平成22年 呉ライオンズクラブ理事
平成23年 呉市太極拳協会会長
平成24年 第46回衆議院議員総選挙に当選(3期目)
内閣府副大臣 復興副大臣
平成25年 クールジャパン推進会議副議長など
自民党副幹事長
平成26年 広島県ボウリング連盟会長
自民党国会対策副委員長
第47回衆議院議員総選挙に当選(4期目)
平成27年 自民党国会対策副委員長
平成28年 自民党国防部会長
自民党ネットメディア局長代理

 

家庭

妻・慶子(池田勇人・満枝の孫で池田行彦の姪)との間に2女

 

趣味

テニス・ウォーキング・読書・カラオケ・スポーツ観戦(カープファン、サンフレッチェファン)

マイヒストリー

生まれ

父寺田宏、母菊子の長男として生まれる。

被爆二世でしたが、意外とやんちゃで親の手数をかけていたようです。

すぐどこかに隠れたりして慌てさせました。

庭の池で鯉を追いかけたり、ボール遊びをしていました。

 

小学校時代

子供の頃、ちょうど池田内閣でした。

学校に初めて入った白黒テレビで東京オリンピックを見たのを鮮明に覚えています。

開会式の時の華やかさと「東洋の魔女」と言われた女子バレーが金メダルを取った時の感動は今でも忘れられません。

その当時より祖父母や母が広島で被爆した事を知り、自らが被爆二世であることを認識しました。

クラスメートにも同じような被爆二世が多くおり、親にもケロイドがある境遇の下で原爆症の怖さを知りました。

 

中学・高校時代

中学・高校ともに国立大学の附属学校だったために国立大学からの教育実習生が多くおり、共に学ぶ楽しさを覚えました。

教習の若い先生や担任の教師と議論し放課後遅くまで及ぶこともしばしばありました。

課外活動など勉強以外の活動としては、テニス部に入り活動したり、夏休みの時などには友達と旅行したりしました。

当時私が所属していた硬式テニス部は自校を含め広島市内に二校しかなく、まだ硬式庭球自体がかなり珍しい時代でした。

ふたばのウッドラケットやスチールラケットを握った時の感動は今でも忘れられません。

家の庭の壁で壁打ちをしたり、トレーニングのため走ったりしていました。

高校時代は、一時吹奏楽部にも所属していました。

 

大学時代

大学時代は、18年間過ごした郷里を離れ、東京に出て下宿生活を始めました。

下宿の母屋のおばあさんは私の遠縁にあたる人で、今はもう亡くなりましたがよく世話をしてくださって感謝しています。

法律相談部に入り個別相談やセルツ活動、移動相談に入れ込みました。

当時全国的にもリーガルマインド涵養ゼミとして有名だった雄川ゼミ、加藤ゼミを受けたことは今でもよい思いでになっています。

現在でも法律相談部のメンバーと毎年交流しています。

 

役所時代

大蔵省には24年間お世話になりました。

主に予算の仕事をしましたが、防衛予算や警察の予算を担当したことは今の礎となっています。

また、その時「大和ミュージアム」や「てつのくじら館」の予算を担当したことは地元との良きご縁となっています。

今でも大蔵省時代の同期や同僚と会い「囲む会」や交流会を行っています。

衆議院議員初当選

叔父池田行彦の後を継ぎ、広島五区から立候補しました。

準備期間が少ない中、急遽の出馬となりましたが、多くの方々にお支えいただき初当選させていただきました。

大蔵省時代予算を担当していたこともあり、予算編成の中で政治プロセスにも関心があり、政治との接点が多かったこと、また身内にも政治家がおり私にとって政治は身近な存在だったことなどが出馬の引き金となりました。

これからも地元の発展のため、国政の更なる伸長のため政治活動に邁進してまいります。

池田勇人のエピソード

祖父池田勇人は岸内閣の後を継いで昭和35年から5年間内閣総理大臣を務めました。

岸内閣当時の安保闘争の殺伐とした世相からチェンジオブペースを図るべく、軽軍備、経済重視の、現在の宏池会の源流となる施策を打ち出しました。

我が国の高度経済成長達成の要因となった所得倍増計画も世に打ち出しわずか4年で実現することができました。

池田行彦のエピソード

叔父の池田行彦は、昭和51年の初当選以来10期連続当選、28年に亘り国政の場に於いて活動させて頂きました。

また、官房副長官、総務庁長官、防衛庁長官、外務大臣、自民党政調会長、自民党総務会長等などの役所においてそれぞれ、足跡を果たさせて頂きました。

これもひとえに地元の方々のご支援ご協力の賜物です。

叔父は比較的頑固は方で一度決めればそれに立ち向かうタイプでした。

また外交・防衛政策に精通し、外交政策通として政府及び党をリードしました。

防衛庁長官在任中9隻の掃海艇のペルシャ湾岸派遣、外務大臣在任中ペルーの日本大使館人質事件など難局をこなし、危機管理、有事対応に大いに意を注ぎました。

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